うんぼぼの想い

鈴木 嘉記(Suzuki Yoshinori)
- 本物プロジェクト代表・プロデューサー
- ファシリテーター
- ニックネーム:うんぼぼ(Umbobo)
「やりたいことがない」に対峙する、
思考錯誤の25歳

将来の夢はある?

将来やりたいことがない。

夢とかない。
「将来やりたいことがない。」「夢とかない。」
自分は運がよかった。わかりやすい職業である「先生」に憧れを持つことができた。母親(小学校の先生・その後自分の塾を運営)、小学校の先生、塾の先生、予備校講師、これまでの人生の要所要所で、影響を受ける先生に出会うことができた。そして、バイト先に学習塾を選び、塾講師をすることで、「教える仕事」の道を歩き始めている。この先も、この仕事に関わり続けるだろう、と思っていた。
けれども、目の前にいる、自分が教えている子たちは、「将来何をしたいかわからない」という。中学生は目の前の受験のために、高校生も目の前の受験のために一生懸命勉強する。その上で「やりたいことがない」と言う。
中学生は「高校生活でやりたいことを見つける」と言う。高校生は「大学生活でやりたいことを見つける」と言う。それはそれでいいけれど。先延ばしにするのではなくて、今できることだってあるんじゃないか。
なぜ「やりたいことがない」って言うのだろう?真剣に考えた。答えはすぐには出ないけれど、「一緒に見つけるのが自分の仕事だ!」って本気で思った。
「世の中にどんな仕事があるかわからない」
「将来何をしたいか?」を子どもたちと一緒に考えた。最初の壁は、自分も彼らも「世の中にどんな仕事があるか知らないこと」だった。「先生」「警察官」「消防士」「お花屋さん」「保母さん」のようなわかりやすい職業はわかる。
けれども、他にどのような仕事があるかわからない。お父さんやお母さんの仕事を聞いてみても、子どもからしてみれば、何をしているのか、よくわからない。
そうか、子どもたち(自分も含めて)は「世の中にどんな仕事があるか、知らないんだ!
自分たちが子供の時って、世の中にある仕事のイメージがつきやすかったのかな。仕事の種類も少なかったかもしれない。今は仕事の種類が増えているのかも。だとしたら、子どもたちに世の中にどんな仕事があるのか教えてあげればいい。
村上龍の「13歳のハローワーク」
そういう時に村上龍の「13歳のハローワーク」が発売された。
「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代は終わりました。好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?花、動物、スポーツ、工作、テレビ、映画、音楽、おしゃれ、料理…いろいろな「好き」を入り口に514種の職業を紹介。派遣、起業、資格など、雇用の現状をすべて網羅した仕事の百科全書
2003年12月、自分が26歳の時。この本をみたとき「これだ!」って思った。「村上龍」に先を越された!って本気で思った(笑)それと同時に、世の中が同じようなことに問題意識を持っている、と背中を押された気持ちになった。
この本を塾に置いた。そして、子どもたちと読み漁った。この中には、世の中にどんな仕事があるかたくさん書いてあるから、自分に興味のあるものを探してごらん!って。そして対話した。
けれども、「13歳のハローワーク」を読んでも、それが将来の「夢」になるわけではない。「やりたいこと」になるわけではない。きっかけにはなるかもしれない。でも決定的な要素ではなかった。
27歳で塾を起業
「やりたいことが見つかる!」場所を目指す
学習塾 「陵光ゼミナール」の立ち上げ
27歳で、自分の学習塾を立ち上げた。学習塾の本業は「学力を上げて、高校入試を成功させる」ことだ。けれども、同時に、本業と同じ熱量で「やりたいこと」「夢」を持つ子を育てる場所にしたいと思った。
13歳のハローワーク」を読んでも、それが将来の「夢」になるわけではない。「やりたいこと」になるわけではない。きっかけにはなるかもしれない。でも決定的な要素ではない。
ヒントは、「目の前の子どもをよく見ることだよ。」
英語が好き!の子には、英語の「本物」を!
毎日子どもと対話をする。よく彼らを観察する。
英語が好き!という生徒たちがいた。ある生徒は、昔から英語を習っていて英語が大好きと言う。別の生徒は、中1から英語を始めて、英語で点が取れるから好きと言う。英語が好きなら本当の楽しさは、英語を使って話すことだ。彼らに、ネイティブ講師と話す時間を作りたい!と思い、ネイティブ講師を探してきた。
定期的に英語を話す環境ができたなら、次は英語を使って生活すること。ホームステイができればいい!ホームステイや留学の経験がなかった自分は、すぐにカナダでホームステイをし、それがどれくらい楽しいかを実感した。そこには、楽しさを越えた、大きな感動があった。
すぐに現地のエージェントと直接話した。「この感動を、子どもたちにすぐ経験させたい!」現地エージェントとホームステイプログラムを企画。翌年、保護者と生徒に話し、生徒たちをカナダのバンクーバーへ連れて行き、彼らと1週間の海外ホームステイ体験をした。
海外ホームステイという大きな経験を通じて、彼らは感動し、大きく変化した。英語に対する興味だけでなく、安心できる自宅ではない場所、しかも言語が違う場所で1週間生き抜くことで、大きな自信を得た。それぞれがそれぞれの大きな成長を遂げた。これはすごい!
発展途上国を体感しよう!カンボジアへ!
社会の授業で、子どもたちと対話する。よく彼らを観察する。
「発展途上国と先進国」「人件費が安いから、日本企業が海外(物価の安い国)に工場を移す」などを学習する。話していると、生徒たちは、頭では理解している。でも実感を持つことはできない。もし実感を伴った理解があれば、思考は様々に発展していくはずだ。
よし!発展途上国へ連れて行こう!すぐに、カンボジアに行き、企画づくりを始めた。現地のガイドさんには「観光ではなく、現地の生活が感じられる場所に連れて行ってほしい」と依頼。現地の小学校に行って授業を受けた。日本の学校との違いにただただ驚いた。畑に行った。池の水を抜いて、泥んこになりながら魚を取り、現地の人と焼いて食べた。現地の人が集まる屋台に行き、ゴザの上でご飯を食べた。旅行では感じられない、カンボジアがそこにはあった。
翌年、興味のある卒業生を連れて、カンボジアへ行った。学校に行き、現地の子どもたちの前で自己紹介をさせてもらった。その後、休み時間に子どもたちとたくさん遊んだ。水を抜いた池で、全員が泥んこになって、魚をとり、現地の人たちと食べた。気がつくと、自分は現地の川で泳いでいたよ(笑)
この経験を通じて、参加者の「やりたいこと」や「夢」が発展途上国に関わる仕事になったわけではない。正確に言えば、なったかどうかは、この段階ではわからない。
けれども、彼らは「大きな何か」を体感し、それぞれがそれぞれの成長を遂げた。
「本物」と子どもを結び続けると、子どもはキラキラ輝く。
看護師になりたい!という生徒がいた。看護師の卒業生に連絡をとり、来てもらった。その子は初めて聴診器を使った。キラキラしていた。
自分もたくさんの「本物」を見たい、と世界中を旅した。面白そうな人にはたくさん会った。その中で、生徒たちと結びつけたい本物(人・場所)があれば結びつけた。
結びつけて「やりたいこと」が見つかったがどうかわからない。「夢」につながったかわからない。ただ子どもたちは「本物に触れた時」キラキラするんだ。
キラキラ輝ける経験がたくさん経験できたら、人はどうなるだろう?将来、点と点が線になったとき、それが、「やりたいこと」「夢」になるのでは?
「本物プロジェクト」誕生
「本物」体験で、子どもたちは殻を破り成長する。
2015年、自分が39歳の時、「本物体験で、子どもたちは殻を破り成長する。」をコンセプトに「本物プロジェクト」が誕生した。「陵光ゼミナール(高校受験のための学習塾)」から切り離し、「本物体験を通じて、子どもが殻を破って成長する」ことに特化した事業だ。
子どもと対話し、子どもの凸(スキ!)を見つける。
「本物プロジェクト」で大切なことは、子どもたちと対話し、よく彼らを観察すること。よく彼らを知ることを通じて、彼らの凸(スキ!)を見つけることだ。その凸(スキ!)さえ見つかれば、そこにあう「本物」を用意すればよい。
では、凸(スキ!)とはなんだろう。凸(スキ!)とは、子どもたちが興味を持つもの、その子の得意なこと、今時の言葉で言えば「尖っている部分」「個性」とも言える。
凸(スキ!)がはっきりしている子には、そこにあう「本物」を当てれば良いが、そう簡単にはいかない。
多くの子どもたちは、自分の凸(スキ!)に自分で気づいていなかったり、言葉に表せなかったり、またはそれを表に出さずに生きているからだ。
これは、能力が潜在していて、自分では気づけなかったり、気づいていても年齢的に言葉で表現できない場合もある。
大変なのは、彼らの凹(子どもたちが苦手なもの、興味の湧かないもの)が際立つ環境では、自分の凸(スキ!)を自分で隠してしまたったり、周りの大人が凹に注目しすぎて、凹んだ能力を平均化したがり、彼らの大切な凸(スキ!)を伸ばそうとしないことだ。簡単に言えば「そんなことやってないで勉強しなさい。」のような言葉がこれに当たるかな。
サードプレイスとしての本物プロジェクト
凸(スキ!)が出せる関係づくり
僕らの仕事は、彼らが、自分の凸(スキ!)を自ら出せるように、彼らとの関係を築くこと。苦手なことに注目せず、スキ!でやっていることをおもしろがることだ。
サードプレイスとしての本物プロジェクト
凸(スキ!)が浮き彫るフィールド(舞台)
もう1つは、凸(スキ!)が浮き彫られるフィールド(舞台)を用意すること。スクールフィールド(教室)や伊豆大島・八丈島といったスクール外フィールド(教室外)がそれだ。皆が同じフィールド(舞台)で自分の個性を発揮できるわけではない。その子の凸(スキ!)が際立つフィールドで企画を行うことで、その子の凸(スキ!)を見極め、そこに当てはまる「本物」をぶつけていく。
「本物プロジェクト」のミッション
- 子どもたちの凸(スキ!)を引き出す。
私たちは、彼らのサードプレイスとして存在し、彼らが自分を自然と出せる関係を作り、またフィールド(舞台)を複数用意する。 - 彼らの凸(スキ!)にあった本物体験を提供し、キラキラ輝かせる。
私たちは、「人間力育成」や「教育」領域における、子供一人一人の個性を理解する「かかりつけのお医者さん」である。彼らの個性をおもしろがり、彼らにあった本物体験を創り続ける。(処方する)
そしてキラキラ輝く子どもたちの姿を実現する。 - 子どもたちが「夢」「やりたいこと」を持てるように、また今持っている夢が様々な色で彩られるように、本物体験(点)を創り続ける。そしてその点が、いつか線になると強く信じる。
25歳の時の自分に伝えたい。今俺は、子どもたちの「夢」や「やりたいこと」を一緒に見つけるために、「本物プロジェクト」をしているよ。
「夢」や「やりたいこと」は、自分が経験してきた点を、つないでできた線に過ぎない。線は振り返った時にしか見えないんだ。
「本物」体験で、キラキラした点をたくさん経験しよう。
みんなの未来は、すごくキラキラしてハッピーな楽しいものになるよ。
You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
スティーブ・ジョブス
プロジェクトへの想い

田中 利輝(Tanaka Riki)
- 本物プロジェクト副代表
- ファシリテーター
- ニックネーム:リキ(Riki)
私は高校2年生の夏に初めて好きな人ができました。
え、今から想いを書くのではないの?いきなり何を言っているの?などと思われたかもしれません。しかし、プロジェクトの想いを書く上で、非常に重要なのです。
私の想いは4500字で述べていますので、本題から読まれる方は、<私のミッション>からお読みください。
17歳での分岐点
プロジェクトへの想いを書く上で重要なのは、17歳の夏に初恋をしたということそのものではなく、17歳になって初めて、他者の存在を認識し、その他者に感情を抱いたということです。つまり、17歳まで他者の存在を認識し、その他者に感情を抱くことがなかったということです。多少なりと自我はありましたので、自分の行動と反する言動、押さえつけてくるような言動には怒りという感情はありました。しかし、それ以外において、他者に何か感情を抱くことがなかったのです。
生きづらかった人生・押さえつけ続けられてきた人生
他者の存在を認識し、その他者に感情を抱くことがないということは、自分の思ったことを何も考えずにしてしまうということです。
学校でそれをやってしまうと何が起こるかというと、先生という大人が怒り始めます。先生という大人は自分の手の中に生徒という子供が納まっていないと自分の思い通りにならないと、怒るのです。こちらの気持ちも聞かないで頭ごなしに。私は、小学生から中学生までで何百と怒られたかわかりません。暴力を振られたこともあります。平成半ばの時代に。ある科目の授業では、何をしようが成績が変わらなかったこともあります。職権乱用ではないか。家でも小学生まではよく怒られた記憶があります。私の気持ちも知らずに頭ごなしに。
私は、この時期に、他者の存在を認識し、その他者に感情を抱くことがなかったですが、大人は敵で信用してはならないということを強く心に刻みました。
大人の影響その1
ところで、17歳になんで急に他者の存在を認識し、他者に感情を抱くことになったかというと、明らかなものはないですが、高校のサッカー部でキャプテンになったことが一つの要因ではないかと思います。
私は、サッカーを8歳からずっとやっていました。なんで長くチームスポーツをやっているのに、他者の存在を認識し、その他者に感情を抱くことがなかったのでしょうか。
まあそれは置いといて、高校のサッカー部は、強いわけではなく、コーチや監督などは名前だけあり練習場にはほとんどいなく、大会に出ても1回勝つのがやっとのチームでした。また、私は、中学ではクラブチームにも入っていたため、多少は上手にできていたのではないかと思います。そのため、3年生部員7名の中で1番上手であるということだけでキャプテンになりました。これが他者への感情を抱くようになったきっかけの1つの気がします。 しかし、人に対しての感情を抱き始めて間もない私みたいな人がキャプテンをやっても、うまくいくはずがありませんでした。ただ、キャプテンをやるとなったときに頭に浮かんだ言葉があり、その言葉を今でも大切にして生きています。それは、「人間力」という言葉です。この言葉がなぜ頭に浮かんだかというと、中学生の時に所属していいたサッカーチームの監督が何かあるごとに言っていたからです。中学生のころは、監督は何を意味の分からないことをずっと言っているのだろうと思っていました。しかし、キャプテンになるうえで、いろいろ考えたときに「人間力」というこの言葉が浮かび、この力を鍛えていかなければならないと思いました。不思議ですね。他者の存在を認識し、その他者に感情を抱くことがなかった頃に言われた言葉が出てくるなんて。今でもこの言葉は、頭の中にずっとあり、日々鍛え続けている力です。
人生史上最悪で最高な年
高校3年生は、人生の中で1番辛い年となりました。まず4月に起こったのが初めての失恋です。初めての失恋でもあり、本当に好きだった人でもあるのでかなりのショックを受けました。さらに、7月、このときに1番力を入れていた部活で、不本意な結果に終わってしまい不完全燃焼のまま引退をしました。さらに11月受験期に先生という大人から、ひどい嫌がらせを受けました。受験3か月前のメンタルというのは、綱渡りのように、緊張感があり、少しでも周りから邪魔されると落ちてしまうような脆いメンタルです。その中でも先生という大人は、卒業するまで私に嫌がらせをし続けました。さらに、受験に失敗しました。勉強においては、この時まで順調に進んでいましたが、行きたい大学の4.5ランク下げた大学に行くことになりました。行きたい大学に学力は届かなそうなことは受ける前にわかっていましたが、その大学の1ランク下の大学からは、模擬テストにおいても塾においても学校においても、受かることは堅そうだという判断がされていたがためにかなりショックでした。このように高校3年生は辛い年となり、ここから、ひどい自己嫌悪に陥り、病み始めてしまい完全に払拭するまでに約3年半かかりました。大学生活ほとんど病んでいますね。でも払拭するまで、何もしていなかったのではありません。そして、この病んでいた心を払拭するまでの期間が自分にとってとても大きな財産でした。
財産の時期
上述したように、高校3年生の終わりからずっと病んでいました。大学1年生までは、高校3年生の時のことが毎日必ず夜にはフラッシュバックされ、自分を責めてしまい寝ることができない日々でした。そして、病んでいた自分は、誰とも関わりたくないと思い、大学に行っても友達は作ろうとせず、高校までの友達と遊ぶことがあってもひどい自己嫌悪に陥っていたので、今までと同じように自分を出して遊ぶことができませんでした。このようにして、私は自分を塞ぎ込んでしまい、周りと関わらなくなり友達もいなくなりました。 大学2年生になる頃に、この状況で生き続けていても辛いだけだと思い自分を変えようと思いました。海外に1人旅に行ってみたり、学校の行事に積極的に参加してみたり、さまざまなセミナーに参加してみたり、就活を極めてみたり、様々なことを手当たり次第、大学4年生の12月まで、がむしゃらにやっていきました。もちろん1年間くらい全く人と関わらずに生きてきて、ひどい自己嫌悪に陥っていたので、そんなすぐに払拭できるわけありません。大学3年生の夏くらいで1回払拭できた気でいましたが、それは表面的で、心の底から払拭できたのは、4年生の12月でした。
大人の影響その2
ここで重要なのは、大学4年生の12月まで辿り着くには、何人かの大人の存在があったからだということです。このように人間として最低だった自分を優しく見守り、海外にきっかけも作ってくれ、外の世界も見せてくれた大人。自分をいつも気にかけてくれて、たくさんの学校行事を紹介してくれた大人。自分のことを考えて言葉を選んだうえでアドバイスしてくれる大人。など、このようにたくさんの大人に支えられて今の自分があると確信しています。また、本当につらい時期でしたが、この時期があったおかげで、「人間力」に磨きがかかり、自分のやりたいことやるべきことが見つかったので、払拭できた今はこの時期がとても自分の中で財産になっています。
私のミッション
このように、今の自分を形成しているのは、17歳の夏までに関わってくれた大人も含め、これまで関わってくれた大人です。自分の存在を認め、自分に合った関わり方や人生において重要なことを伝え続けてくれた大人です。
そして今、私がするべきことは、自分の経験を社会に還元すること。つまり、学生が成長していくうえで、あの大人がいたから今の幸せな自分があるのだと思えるような、人生の分岐点となる存在になること。それが今の私のミッションだと思っています。
ここで、私の思う幸せとは、自分の能力を最大限発揮したうえで社会貢献をし、自分を肯定できている状態のことを言います。決して、経済的に豊かであるということではありません。もちろんお金も必要です。しかし、お金があっても幸せでない人は多く存在するのではないでしょうか。自分の能力が最大限発揮できるようになり、それを自分で肯定でき、社会でも認められる存在となること、そして自分を愛することができる人、そのような人が幸せというのではないでしょうか。最低限のお金は必要ですが、これができれば最低限のお金は稼げます。最低限どころか、もしかしたら、ものすごく稼ぐことも可能かもしれませんね。
ミッション達成への道
そして、このミッションを達成するためには、その子の秀でている能力を見つけだし、それを極めていくこと、自己肯定感を高めることが非常に重要です。
私は、必ず誰しもが個性を持ち、秀でている能力があると信じています。今、それが見える子は能力が顕在しているだけであり、それが見えない子は能力が潜在しているだけあると思います。実際に塾講師として数百人と関わってきたうえでそれは実感しています。普段の生活では能力が顕在しない子も、ある特定の状況に置かれたときにその子の潜在していた能力が顕在することはよくあります。
また、極めるという過程の中には、必ず学びがあります。現代の教育では、学んでから実態を知るという構図になっていますが、好きなものを極める過程で様々なことを学び、能力を身に着けていくという構図が自然なのではないでしょうか。人類が生まれてから現代に至るまでに解明されているほとんどのことは、学んでから解明されていませんよね。解明した人は、あるものを好きになってそれについて学んでいき、どんどん能力を身に着けていくことで自然と解明してきていますよね。この構図は、子ども自身がワクワクしながら学ぶことと自分自身で探究していくことに繋がるため、その子の能力が1番伸びる構図であると信じています。
また、私が教えている子どもは、自己肯定感が高い子が多いです。理由は、私やそこにいる大人全員が、その子の存在を認め、たくさん褒め、たくさん学ばせ、たくさん遊ぶということを行っているからです。経験上、ただそれだけで自己肯定感は伸びます。大人がその子を認めれば、周りの子もその子を認める、そうすると自己肯定感が上がる。その子を否定せずに褒めるとその子は、その空間では伸び伸びと生活する。たくさん遊び・学ぶという時間を共有すると、その子との関係が深まり、その子にとって私が接したときの影響力が強くなり、自己肯定感を高めることに拍車がかかる。このようにして自己肯定感が高まっていきます。これらのことが現代の子供と関わるときには必要なのではないでしょうか。
本物プロジェクト
上述したことを踏まえると、私がミッションを達成するための一つの方法は、その子の自己肯定感を高めていきながら、能力が顕在している子には、その能力を伸ばす場を提供し、能力が潜在している子には、まず能力を顕在させるための場を設け、能力を顕在させた後に、その能力を伸ばす場を提供することだと思っています。
そして、これを行っているのが本物プロジェクトです。